
金太郎の日記(2003年3月)
3月31日
今日から新年度の番組がスタート。
3週間たっぷり休んで(?)鋭気を養った(ハズ)し、
新企画も目白押しだし、
新しい相方とは息ぴったしだし、
堀ちゃんは無事入籍したし、
露天風呂も6ヶ月かけて完成したし、
衣装決まってないし、
岩永さん無事自転車乗れたし、
1年間がまだすぞー♪
3月25日
44回目の誕生日を迎えてみました。
宅急便、手紙、メール、手渡しと
皆さんありがとうございます。
誕生日は自分だけの一年の始まりの日。
この一年をさらに良い年にするよう頑張るぞ。
3月23日
東京から両親が来ている。
本来なら今頃長崎で一緒に暮らしているはずなのだが、
代々江戸っ子のお袋は東京が離れがたいようで、
こちらの家は別荘くらいのつもりでいらっしゃる。
で、今日は女房方の両親や兄弟も交え
お食事会などを催してみました。
年に何度も出来ない親孝行の真似事のつもり。
親から「ありがとう」と言われた時の照れくささは、
その何百倍もの「ありがとう」を言い損ねてきた愚息ならでは、か。
明日からも頑張ろっと。
3月18日
昨日は番組新年度用のオープニングの撮影。
ロケ現場は結婚式場。
明日は福重小学校の卒業式に参加。
21日は友人の結婚式。
俺の廻りは平和と幸せに溢れているのに…。
おい、ブッシュ!
3月10日
ブリックホールにて師匠のコンサートを見る。
毎度ながら勇気と元気を頂きました。
4月には番組に来てくれるとのコト。
お待ちしております。
3月8日
この4月で芸能生活丸20年を迎えるのだけど、
それを目前に最悪のコトが起こった。
風邪だとは思うのだけど声が出なくなった。
風邪くらいはひいたコトあるし、
もっと酷い状況の時もあった。
しかし、本番に声が出ないなんてのは初めての体験だった。
ノドだけが商売道具と言い続けて20年。
熱があろうが咳が出ようが
本番に望めば何事もないかの如く過ごしてきた。
一昨日も本番には声が出ると信じていた。
しかし、まったく出なかった。
しゃべり屋としてこれほど悔しいコトはない。
これでもかというほど薬も飲んだ。
医者にも行った。
でも出なかった。
その悔しさのお陰か、昨日は声を出すことが出来た。
ガラガラではあったけどオンエアに耐える声が出た。
今日声が出なかったら、即引退してたと思う。
今日もまともに声が出ない。
でもいい。
本番さえ出てくれりゃ、ね。
とはいえ、多くの方にご心配をかけました。
すいませんでした。
2度とこんな悔しい思いをしないように節制します。
3月2日
今日、国見高校の卒業式があり、
俺も学校評議員として出席してきました。
厳正粛々と進む式でしたが、
最後に卒業生の答辞をした宮本君にやられました。
サッカー部員であった宮本君が両親に対する感謝を語りつつ嗚咽。
昨年の選手権優勝祝賀会の時に泣いていた母の話…。
涙もろい俺じゃなくとももらい泣きますぜ。
一生懸命やってきた彼だからこそ、
懸命に応援してくれた両親の気持ちもちゃんとわかったんだね。
我が子も中学校のソフトテニス部のキャプテンではあるけれど、
親としてどれほどのコトがしてやれているのか、
改めて考えさせられた1日でした。