
<99.8.9>
「戦争について」
俺が戦争について、何となくイメージを持ったのは幼稚園児の頃である。
じーちゃんと銭湯に行くたびに戦時中の話しを聞かされたからだ。
(それが苦痛らしく、従兄弟達は一緒に来なかった)
木の根を掘って食べた話しとか、苦しいコトばっかりを聞かされたものです。
もっとも、その記憶が、後に俺を日本一周貧民の旅へと駆り立てたんだけどね。
で、初めて戦争を実感を持って感じたのは中学一年の時。
時はまさにベトナム戦争終盤。
俺の家にはアパートがあって、そこにアメリカ人が住んでました。
(ちなみに奥さんは福岡の人です)
その人の弟が、ベトナムで従軍した帰りに日本に立ち寄ったのです。
凄く楽しい人で、すっかりなついた俺は数日を共に過ごしました。
しかし、その陽気なお兄ちゃんが、時折辛そうな顔をして黙り込んだりする。
また、突然ビクっとして周りを伺ったりする。
初めは良く解らなかったんだけど、だんだん彼の気持ちが見えてきた。
多くの仲間や友が死に、本人も何度もそういう目に遭っていたのだ。
彼が日本を離れる時、貰ったものがある。
ベトナム戦争で任期を満了した証となる勲章である。
しかもそれは、死亡率7割と言われた海兵隊のモノだった。
彼がそれをくれた時に呟いた「こんなもの持っていたくないんだ」という言葉。
1万人の中で生き残った3000人の中の一人という現実が持つ意味。
俺に戦争を実感させるには十分な出来事だった。
さて、時は過ぎて1999年。
あいも変わらず世界中で、紛争、戦争が勃発してます。
しかし、ベトナム当時と比べると随分戦争の内容も様変わりしました。
その実感は多くの人が、湾岸戦争で感じたと思う。
すなわち「リアリティのない戦争」である。
ミサイルの先に付いたカメラに映る標的がどんどん近づいてくる。
爆発。その瞬間に映像は次のシーンへと切り替わる。
そんな画面を、一家団欒の夕食を食べながら眺めて、「すっげーなぁ」等と呟く。
人の死や痛みの実感が無いままの戦争。
もはやゲーム感覚である。
ゲームでは殺した相手は、リセットボタンによって何度でも蘇る。
無節操で安易な殺人が増える訳だ。
で、本職の方々はどうなのか。
実は、こちらにもその風潮は忍び寄っているらしい。
電子機器とボタンだけの戦争。
つい最近のユーゴの空爆が良い例ですね。
ついに地上軍は投入されませんでした。
相手から遠く離れた、安全な場所からのミサイル攻撃。
その発射ボタンを押す人には、人を殺しているという認識はあっても、実感はないそうです。
その着弾地点では、既に死体とも呼べないような肉片が飛び散っているというのに。
戦争とは国の最終防衛手段と言われるけど、攻撃こそ最大の防御なりって言葉もある。
戦争してないと成り立たない国もある。
戦争によって経済が活性化する国もある。
そんな国は、世界中で戦争する理由を捜してるように見える。
それも、なるべく遠いトコロで。
結局はエゴだよね。
国と言っても、個人の集合体である以上、人間の欲望とかがモロに反映されます。
人は痛みを知ることで優しくなれる、という言葉を聞いたことがある。
でも、痛みの実感を伴わない戦争が増えてきたら、
誰も優しくなんかなれないんだろうなぁ。
俺は戦争も、争うことも基本的には嫌いです。
でも、もし家族や仲間に危害を加えられたとしたら、
きっと相手を傷つけてでも、愛する人達を守ると思う。
優しさや愛の裏側には、戦う覚悟が隠されていなければならないのも事実。
しかし、本当に守るべきモノ以外の為の戦いが多すぎる。
欲望、エゴ、名誉、地位、金、ゲスなプライド。
そんなモノは守らなくていいんだよ!
(鐘の音を聞きながら)
皆様の感想&意見お待ちしております
